仙台家庭裁判所 昭和43年(少)2078号
主文
本件については、少年を保護処分に付さない。
理由
一、本件の送致事実は、「少年は中学校を中退後東京方面などに住み込み稼働して来たが、仕事にあきやすく、帰宅して遊びにふけつていることから両親らに小言をいわれ、かねてから不満を抱いていたところ、たまたま、昭和四二年一一月△日午後零時ころ、近隣から子守をたのまれた二歳の子供が溜池に落ちたことを注意されたことに激昂し、同日午後三時ころ、宮城県黒川郡○○町○○字○○××番地の自宅(実父H・Z所有)を焼こうと決意し同人方木造萱葺平屋建居宅の茶の間萱屋根にマッチで点火し、もつて右萱屋根の一部を焼燬したものである」というのである。
二、そして、昭和四三年四月八日、当裁判所で右事実につき少年を保護観察に付する旨の決定がなされたが、少年の親権者から抗告がなされ、その結果、右決定には事実誤認の疑いがあることを理由に破棄差し戻しとなつたのである。
そこで、原決定の基礎になつた証拠資料ならびに抗告審および差し戻しの証拠調べの結果を総合的に吟味して、本件の非行事実の成否を検討することとする。
三、(一) まず、記録によれば、昭和四二年一一月△日午後三時すぎころ、宮城県黒川郡○○町○○字○○××番地の少年宅茶の間の北東隅の萱屋根裏から出火し、萱屋根約三・三平方メートル(時価一万円相当)を焼燬した事実を認めることができる。
(二) ところで、少年は、捜査段階では、一応事実を認めており、これに、ポリグラフ検査結果報告書や少年自身出火直前の午後二時すぎまで子守をしてひとりで在宅していたことを自認していること、当日は近所で不幸があつてそれに関係のある者が、出火前後ころに幾人か少年宅の近くを通つたことが認められるが、それらの中に行動の不審な者を目撃したという人もいないことなどの事情をあわせ考えると、右の出火が少年の放火によるものであると認定することも必ずしも不可能ではないかのようである。
(三) ところが、少年は、事件が家庭裁判所に送致された後は、調査および審判を通じ、一貫して放火の事実を否認し、捜査段階ことに警察では、「火をつけたならつけたといえ」とか、「見ていた人がいるから放火したのに間違いない」ときめつけられ、弁解をきいてもらえなかつた旨述べているのである。
そして結論をさきにいうと、当裁判所としては、以下詳述するように、送致にかかる前記事実が少年の犯行であると認定するには幾多の疑問があつて、結局、本件は非行なしと断ぜざるをえないのである。
四、(一) まず第一に、犯行の状況に関する供述をみると、司法警察員に対する昭和四二年一二月四日付供述調書によれば、「確か午後三時近くころであつたか、茶の間の戸棚の上段の中にあつた小箱のマッチを取り出し、戸棚の敷切に足をかけて萱屋根裏に上り、屋根裏の北側東隅のところにはつて入り、マッチの軸木一本をすつて直接萱に火をつけたが、燃え上つたことは確かめなかつた」というのであり、また司法警察員に対する同月五日付供述調書によれば、「私は火をいたずらしようとして、戸棚の向つて左側上段のところをあけてみたところ、大きな袋に入つていた小型の広告マッチ一個をとつてそのマッチを手に持ち、戸棚に向つて右側の上下段の引板戸をあけ、上下段の仕切り板を足台にして茶の間の北側東角の萱屋根裏に上り、マッチの軸木一本を取り出してすつて火をつけこれを萱屋根の下の方に火をつけたのです、あるいはマッチをすつて萱屋根にほうりこんだような気もしますが、とにかく燃えあがつたことはたしかです」というのであり、さらに検察官に対する供述調書によれば、「家に火をつけてやろうと思つて、午後三時ころ、茶の間の戸棚の上に昇つてかやぶき屋根の裏の方に小マッチで火をつけ、すぐ家を出ました」というのであるが、放火の手段や方法に関する供述はいささか通りいつぺんで、みずから体験した犯行の自白としては具体性に欠けるうらみをまぬかれないし、各供述の間にはすくなからぬ矛盾のあることがうかがわれる。
(二) のみならず、第二に、右自白の内容を現場の状況にてらしてみると、放火の手段や方法については、多くの疑点のあることが認められる。
まず、司法警察員作成の実況見分調書および検証調書、証人○山○吾の証言によれば、少年宅の茶の間には天井がなく萱屋根の裏側が露見しており、かつ北側には茶の間と同じ幅の据えつけ戸棚があつて、本件の出火場所はこの戸棚の向つて右上方の屋根裏であることが認められる。ところで、右の各証拠によれば、この戸棚は、幅三八〇センチメートル、高さ二一二・五センチメートル、奥行九〇センチメートル位の大きなもので、最下段には高さ二〇センチメートル位の引き出しがあり、その上方七〇センチメートルのところに戸棚を上下二段に区切る厚さ一〇センチメートルの仕切板があり、さらにそれから七〇センチメートルを隔てて厚さ六センチメートルの天井板があるというものであること、そしてさらにその上部には幅一五センチメートルの角柱が天井板と九センチメートルを隔てて左右に走つており、しかもそれが戸棚の前面より約七、八センチメートル前方に出つぱつているうえ、さらにその上方七〇センチメートルのところには梁が左右に走つていて屋根裏に接していること、戸棚の上の広さは、天井板とこれに斜めに交差する形で落ちこんでいる屋根裏にはさまれてさして広くはなく、普通の人は身体をかがめなければ上つていることはできないことがそれぞれ認められる。
そして、このような戸棚の状況にかんがみるならば、はしごとか踏み台などの道具を使うことなく、たんに仕切板に足をかけただけで戸棚上の屋根裏に上ることは、成人男子の体力をもつてしても必ずしも容易なことではないといつてさしつかえなく(現に、捜査担当者の中で、実際に仕切板を足台にして戸棚上の屋根裏にまで上つてみた者はいないようである)、したがつて、事件当時年齢一八歳の少女であつた本少年が、前掲の供述調書にあるように、「戸棚の敷切に足をかけて萱屋根裏に上り、屋根裏の北側東隅のところにはつて入り…」とか、「上下段の仕切板を足台にして茶の間の北側東角の萱屋根裏に上り…」などと、いかにも易々とそれができえたかのごとく述べていること自体きわめて不自然であるといわざるをえない。まして、証人○野○い、同○原茂○子の各証言と当裁判所の検証の結果によれば、少年は、身長一五一・七センチメートル、両手を真上に伸ばしたときのかかとから指先までの高さが一八六センチメートルで割と小柄であるうえ小・中学校に在学当時の運動能力は一般の生徒に比しかなり劣るものであつたことが認められるのであつて、これに前認定の戸棚の状況を加味して考えれば、少年が仕切板に足をかけただけで戸棚上の屋根裏に上つていつたとみることは、むしろ不合理でさえあるというべきである(もつとも、証人水○伝の証言中には、同人自身が戸棚の仕切板に足をかけて手を伸ばしてみたところ、屋根裏の出火地点と思われる場所に簡単に手が届いたので、少年の自白に対して別段の疑問をもたなかつた旨の供述部分がある。しかし、少年の供述は、前示のとおり、いずれも、「仕切板に足をかけて屋根裏に上つた」とか、さらには「屋根裏にはつて入つた」というものであつて、「仕切板に足をかけたままで手を伸ばして火をつけた」というものではないことがあきらかである。したがつて右証言は全くの見当違いといわざるをえない)。
また、放火の方法に関する少年の供述は、「マッチ一本をすつて直接萱屋根に火をつけた」というのと、「マッチ一本をすつて萱屋根にほうり込んだような気もする」というのがあつて著しくくい違つているうえ、司法警察員作成の実況見分調書と検証調書、証人○山○吾の証言によると、少年宅の茶の間の萱屋根は、ふきかえてから一五年位経過しているもので、天井がないため、いろりのたき火で屋根裏全体が黒くすすけ、萱が固くなつて光つている状況であつたことが認められるのであつて、このような屋根の裏側にマッチ一本だけで点火できるかはかなり疑問であるといわなければならない(現に、右証人は、実況見分の際の経験にもとづき、右のような屋根裏にマッチ一本だけで点火することは困難であるとみうけたというのであるが、警察が、捜査の過程で焼け残つた萱屋根を利用して点火実験をしてみたということもなかつたようである)。また、右の各証拠によつても、実況見分や検証などの際、戸棚の上や屋根の裏側に点火の容易な可燃物やその焼け残りが発見されたということも認められず、したがつて、マッチ一本をすつてほうりこんだというだけで萱屋根に火がついたとはとうてい考えられない。
(三) 第三に、放火の動機は、少年の司法警察員に対する昭和四二年一二月四日付供述調書によれば、「ほとんど毎日のように遊んでばかりいることで注意されたり、しかられたりの小言をいわれ、面白くなく暮してきたところにその日も子守などのことで母からしかられ、家にいるのがいやになり、家に火をつけて焼けばなんとかしてくれるであろうと考えて放火した」というのであり、司法警察員に対する同月五日付供述調書によれば、要約するに、「仕事もせずに遊んでいたりいいつけをきかないことで、父や兄からしかられてばかりいて気持がくしやくしやしていたところに、事件前日の昭和四二年一一月○日の夕方には、父から親戚の家に手伝いにいつた母を迎えにいくようにいわれたが、きかなかつたことからカンカンにおこられて口論となり、そのため床に入つても腹がたつて寝つかれず、事件当日の一一月△日も、朝から頭がくしやくしやして昼食が喉をとおらないほどであつたことに加え、子守をたのまれていた近所の女の子が目を離したすきに家の前の溜池に入つたことで何やら同人の父親から法意されてすつかり頭に来たため、人さわがせをしてやろうと考えて放火した」というのであり、また検察官に対する供述調書によれば、「両親からはときどきしかられていましたが、一一月○日の夜、父から母を迎えにいくようにいわれて暗くていやだといつて喧嘩しました。そのつぎの日の朝、子守をたのまれていたほかの人達から何といわれたか憶えていませんが、気になるようなことをいわれ、またお昼前に子守をしていた近所の女の子が私がしらないうちに池に落ちて泣いたことで母からしかられました。このようなことが重なつて気がむしやくしやしてそれを晴らすため、家に火をつけてやろうと思つて放火した」というのである。
しかしながら、H・D子の司法警察員に対する昭和四二年一一月一一日付および同年一二月六日付各供述調書と昭和四三年四月八日の審判廷における供述ならびにH・Sの司法警察員に対する昭和四二年一一月一〇日付および同年一二月一日付各供述調書によれば、少年は、中学校を中退して東京や仙台などに働きに出たことがあつたが、体が弱いとか勤めができないといつて帰宅し、昭和四二年九月初めころから、ときに農作業の手伝いをするだけで、ほとんど、毎日の食事を作つたりして暮していたことは認められるが、少年の両親はもちろん兄のH・Sが、このことについて少年をしかるほか、小言をいつていたことを認めるに足る証拠はみあたらないのである。もつとも、少年は、父とは時々争いをすることがあつたことはうかがわれるが、それは、父が昭和三七年ころに中風で倒れてからほとんど口をきけなくなり手まねで用を足すほどであるため、ともすれば意志が通じないことが多いためであつて、いちがいに少年の右のような生活に原因があるとは認めがたいし、右の各証拠によれば、逆に少年の父母は少年の健康や気持の幼稚さを考えてむしろかばつて来ており、現に事件の約一ヶ月前には、再び上京したいといい出した少年を母が説得して思いとどまらせた事実もあつたことが認められる。のみならず、少年の前掲各供述調書によれば、事件前日の一一月○日の夕方に、父から、親戚の家に手伝いにいつた母を迎えにいくようにいわれたのに、これをきかなかつたことからかなりしかられ喧嘩をしたことが、犯行の大きな動機であつたかのごとくであるが、母H・D子の右供述によれば手伝いにいつた親戚というのは、○町○○部落にあつて、最初から泊りがけの予定で出かけたというのである(現に、当日夜おそく、不幸の知らせをうけたため泊らずに翌日の午前一時ころ帰宅している)。したがつて、父がこの予定を知らずにいたとは考えられないし、かりに知らずにいたとしても右○○部落と少年宅のある肩書住所地とは地図によつてもかなりの距離のあることが認められるから、少年の前掲供述調書にあるように、父が夕食のために母を迎えにいくよう少年にいいつけたということ自体いささか疑問であるし(この点に関し、父を取り調べた形跡はない)、翌朝には、少年自身家族と一緒に食事をし、その後は、留守番をしながら近所の子供を四人も預かつて子守をしていたことが認められ、母H・D子や兄H・Sの供述および子守を託した大○道○や高○美○子の司法警察員に対する各供述調書によつても、その際、少年の態度に変つた点がみられたとかいうことも認められない以上、朝から気持がむしやくしやしていたということにもすつきりしないものがあることは否定できない。また、大○弘の司法警察員に対する昭和四二年一一月二一日付供述調書、H・D子の司法警察員に対する同月二四日付供述調書および○橋○太郎の司法警察員に対する供述調書によれば、事件当日の午前一一時ころ、少年が子守をたのまれていた二歳になる女の子が自宅前の溜池に入つているところを同女の父大○弘らに発見され、ことなきをえたことが認められるが、その際、右大○らは少年に対しさほど注意めいたことを述べてはいないことが認められるうえ、母も、同人らから事情をきいて無事を確認したのちであつたため、少年をたしなめた程度で大声で怒つたわけでもないことが認められるから、この点についても、少年の前掲各供述調書とはくいちがいがみられる。
このように、少年が放火の動機として供述していることはほかの関係証拠にてらして、事実に反する点や疑問な点があつて、前段でみたような態様の放火行為の動機として十分に合理的であるとはいえないものというほかないのである。
五、以上で少年の供述をその内容についてみたが、つぎに捜査の経過についてみることにする。
(一) まず、少年が犯行を自白したのは、事件発生後一ヶ月近くの期間とかなりの曲折を経た結果であつて、その取り調べは相当に難航したことが認められる。すなわち、証人水○伝、同鈴○隆の各証言および通常逮捕手続書によれば、少年は、事件発生後まもなくのころから容疑線上にのぼり、警察が何回かにわたつて出火の模様や前後の行動について事情をたずねたが、自分が放火したことは認めていなかつたこと、捜査当局が少年を放火犯人と断定したのは、事件発生の約一週間後であるが、少年の態度はいぜんとしてかわらなかつたこと、そこで事件発生から二五日経つた昭和四二年一二月○日に、少年をポリグラフ検査にかけたところ、かなりの特異反応があつたので本格的に追及したが、少年自身、初めは名前を呼ばれても返事一つしないまま三〇分も経過し、ひきつづいて同日午後四時ころから途中三〇分の休憩をはさんで午後七時ころまでなされた取り調べに対しては、ようやく口をきくようになつたものの、調書を作成するまでにはいたらなかつたこと(もつとも、水○証人の供述中には、午後三時三〇分ころから調べ始めて、しやべり出したのが午後七時ころからであつたとの部分もある)、放火を自白し、その日の調べが終了したのは午後八時三〇分ころであつたこと、そのため、逮捕状が執行され留置されることになつたが、そのときは翌一二月△日午前零時三〇分ころになつていたこと、ポリグラフ検査や取り調べの間、昼と夜の食事を全くとらなかつたこと、そして、これは一二月△日も続いたので同日午前には医師を呼んで診察をうけさせるなどのことがあつたこと、以上のとおり認めることができる。そして、年齢も若く社会的経験も乏しい一人の少女が、本格的な追及はなかつたにせよ、警察官に対して、事件発生後約一ヶ月近くの間、犯行を否定しつづけ、右にみたような経過ではじめて犯行を自白したということは、たんに少年が無口であるとか性格的に問題があるためというだけでは片づけられないものがあるといつてよい。
(二) つぎに、司法巡査小原忠信作成の昭和四二年一一月一七日付「捜査報告」と題する書面には、「昭和四二年一一月○○日捜査中、容疑者と目される少年の頭部左側耳上の頭髪が若干焼け縮れているのを現認したので、『髪が焼けているようにみえるが、火事のときに消し方をしていて火が落ちてそれで焼けたのか』と質問したところ、『私の髪は以前から縮れているので火事のときに焼けたのではない』と申し立てている。なお、少年は火災の際は母親のところに火事の知らせに行つているので消火活動はしていない」旨の記載がある。そして、証人水○伝の証言によれば、この捜査報告が捜査当局において少年を放火犯人と断定する有力な資料となつたことがうかがわれるのである。しかし、右書面を作成した証人小原忠信の証言によれば、少年と同人の自宅前で話しているとき、左耳上の頭髪が三センチメートル×五センチメートル位の広さで縮れているのがみつかつたが、縮れの程度がそれ程強く感じられなかつたので、四、五日から一週間以前に火で焼けたものと判断したというにすぎず、頭髪が焼けて脱落していたとか、灰化した部分が残存していたとかいうほど、火で焼けたことを推認させる顕著な証跡があつたわけのものではないことがあきらかである。のみならず、右記載のとおり、少年は火で焼けたことを否定していたというのであり、しかも、その際とくに少年の表情にうそをいつていることを推認させるような徴表があつたとかいうことも証人自身気づいていないことがうかがわれるのであるから、証人の現認したという頭髪の縮れがはたして火で焼けたものかどうかそれ自体はなはだ微妙であつて、ほかに客観的な証拠による裏づけもないのに、火で焼けたものと断定することは困難であるといわざるをえない。また、もしかりにそれが可能であつて、しかも四、五日から一週間位以前に焼けたものとまで判定ができるほどであつたとしたら、なにゆえに、出火直後から何回かにわたつて少年と会い事情をたずねているほかの幾人かの練達した警察官がそれを発見できなかつたのか、まことに不可解というほかない。したがつて、右のような捜査報告をもつて少年を放火犯人と断定する資料としたこと自体かなり問題であつたといわざるをえないし、まして本件の事実を裏づける証明力はほとんどないといつてよい。
(三) さらに、司法警察員作成のポリグラフ検査結果報告書と証人鈴○隆の証言によれば、昭和四二年一二月○日少年をポリグラフ検査にかけたところ、本件の火災は家屋内部からの故火によるもので、火をつけた場所は戸棚の上であること、戸棚の戸をあけ棚を踏み台にして火をつけたこと、頭髪が焼けたのはそのときであること、畑に出かけたのは火事をごまかすためであることなどの点に特異反応を示す結果がえられたことが認められる。そしてこの検査結果が少年を本格的に追及する契機となつたものであることは前にみたとおりである。しかし、ポリグラフ検査の性質上、右の結果自体少年が放火犯人であることの積極的証拠にはなりえないことはいうまでもない。そればかりでなく、右証言によれば、ポリグラス検査は、少年が設定された質問事項に関してそのときまで捜査官からきかれていないことを前提としてなされたというのであるが、すでにみられたように、少年は検査をうけるときまで容疑上の人物として何回か出火の状況を警察官にたずねられていることが認められるうえ、本件の火災は、ほかならぬ少年自身の家から出たもので、発生から検査をうけるときまでの間に、直接間接火災の状況に関する知識をえ、あるいは原因などについてみずから考えたりしたであろうことは容易に推認されるところであるから、右の検査結果に大きな意味をもたせることはできないというべきである。
六、以上詳述したところによつてあきらかなように、捜査の過程や進行にも問題がないわけでなく、むしろ適切な裏づけ証拠がないままに少年を放火犯人と断定し、しかも少年の性別や年齢、社会的経験からみればかなりきびしいと思われる追及をした疑いがあつて、これに供述の内容自体に関する幾多の疑点とあわせ考えると、かりにそれが任意になされたものだとしても本件犯行に関する少年の自白はとうてい真実を述べたものとみることはできないといわざるをえない。
よつて、本件の送致事実については犯罪の証明がないことになるから、少年には非行がないものとして、少年法二三条二項を適用して、主文のとおり決定する。
(裁判官 太田豊)